最新学歴

『論語』の為政に、よく知られた言葉がある。
『子曰、吾十有五而志于学。
三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩。』

人は一生をかけて学び蓄え、その蓄えを増やす続けることで成長し、物事の本質・道理を知ることができるようになる。各々が一生をかけて学び蓄え活かしたことで、人格が磨かれ成長し続け、人の本質に沿い理に適う行動をできるようになる、との意である。

多くの人が学校を卒業し、ビジネスに身を置くようになると、実際は学習の量が激減する。学習なんてしない、忙しいからむずかしいなどと言って、本も読まない、などということをいう人にどれだけ会ってきたことか。そういう人たちは年齢を重ねるほど質の薄っぺらい話ししかできなくなる。
学校で学んできたのは、社会に出るための必要最低限度の内容である。にも関わらず、それがあれば社会に出てから勉強などする必要はない、という口上である。

本当にそうなのですか?学校の勉強だけで、仕事での吸収だけで、長い仕事人生、成果を出し続けられますか?人生100年時代に生き延びられますか?

ちなみに読書は身近で容易な学習であるが、約半分近くの人たちが全く読まないということだ。(文化庁『国語に関する世論調査』)。
社会人になってからこそ、仕事を知ったからこそ、自分を成長させ社会に貢献するために学習を進めていかなければならない。

ここで提案である。「最終学歴」という言い方をやめ、「最新学歴」にしてはいかがだろう。「最終学歴」とは過去にしがみついています、ということに他ならないが、「最新学歴」であれば、いくつになっても、どんな場所でも自分を磨いていますよ、を示すことにつながっていく。
自分を磨く場所は、何も大学や大学院でなくてもいい。自分が目的を持って学んだ機会を示せばよいではないか。
「最新学歴」が仕事での責務と連動することで建設的な思考になり、行動できるようになるとよいのではないか。

学ぶ機会は他の誰でもない、自分で創るしかない。
人のためがゼロではないが、やはり本来は自分のためである。
自分が目指す姿を描き、それに向かって進んでいく。学びで忙しいなら忙しいという言葉は出てこないだろう。そこには充実した時間があるはずだから。

昨年来、我々は‘人’が動くことで、モノやお金そして社会が動くことを深く認識した。
‘人’が社会をつくっているのだから、よりよい社会をつくるのであれば‘人’が考え・動くことで成長していくことがどうしても必要だ。
誰もが「最新学歴」を更新し続けることを常とする世の中にしていきたい。