「戦略」はなぜすぐに「戦術」に堕するのか

経営陣が合宿や会議を重ねてつくり上げた成長戦略や中期ビジョンを、現場に展開した途端に、単なる施策リストやTo Doリストになってしまった・・。
これは様々な企業・組織で繰り返されている大きな悲劇の一つです。
『戦略』思考を求めてみても、「来期は新規顧客15%増のために、訪問件数を2倍にしよう」「コスト削減のため、外注費を15%カットしよう」といった、目の前の活動や短期的な施策、つまり『戦術』の発想に終始してしまうのです。この状況こそ、『戦略』が『戦術』に「堕した」状態です。

『戦略』が「戦術」に堕してしまうと、組織は「量」増加や「効率化」には成功するかもしれませんが、組織としての「方向性」や「独自性」を見失っていきます。
「戦術」はあくまで限られたリソースの中で「いかに勝つか」を追求するものです。限りなく現場での目線になっています。
一方で、『戦略』は「どこで、何をもって勝つか」という中長期の時間軸、局所戦ではなく事業全体についての問いに答えるものです。『戦略』なき「戦術」は、やみくもに野山を歩き回るようなものであり、一時最高の景色に出会ったとしても、目指す地点にたどり着くことはできません。
「戦術」のみでは、結果として、競争環境の変化に対応できず、事業の本質的な競争優位・組織における全体最適が構築されずに、組織としての成長がとまります。

『戦略』の真の重要性は、組織全体に「やめるべきこと」と「集中すべきこと」を明確に定義し、経営資源の最適な配分を再考する、意思決定の基軸となるという点にあります。
『戦略』の視座を持つことで、目の前の活動である「戦術」に目線が移ったり時間を費やしたりされることなく、市場での競争全体を見て、当社は競合他社と本質的に差別化できるのか、という経営としての重要な問いを常に持ち続けることができます。
これにより、短期的な売上だけでなく、将来の市場での持続的なポジション=ブランディングや市場リーダーとしての地位を築くことが可能になります。

『戦略が戦術に堕する』最大の原因は、「戦略策定者である経営層・事業責任者が、自ら現場の戦術に降りてしまい、安心してしまう」、そして「戦略と評価・報酬などの人事が連動していないこと」ではないでしょうか。
『戦略』を、目標達成の具体的な道筋ではなく、競合とは違う当社独自の価値の提供のための選択と集中、として捉え直すことです。
そして、現場の評価軸を「活動量」や「効率」から、「戦略目標達成への貢献」へと覚悟を決めて転換し、『戦略』を組織に深く根付かせる努力を惜しまないことが必要です。

策定した『戦略』を「なぜこの方向性を選択したのか」「何を捨てる決断をしたのか」という企業としての存在意義への問いへの回答と共に、従業員全員が暗唱できるレベルで言語で表し、徹底して対話し直していきます。
次に、マネジメント職に対し、自部署の活動を『戦略の視点』から吟味し直す合宿や教育研修を実施しなければなりません。この場ではアウトプットに徹します。戦略には7つの切り口で設計が言語化されます。充分に言語化されることは、会社全体の活動としての一体感につながります。
そして、人事評価制度と連動させて『戦略』に照らしあわせて望まれる行動と、「目の前の活動である戦術」を峻別し、『戦略』に照らしあわせて望まれる行動を評価する仕組みを早々に構築していくことが求められます。

経営者・事業責任者の想いとして、『戦略』を実行した、という安心感は、単に施策をやりきったという満足感とは異なるものなのではないでしょうか。今一度、自社の『戦略』が、「競合も追随できない、非連続な優位性を生み出しているか」を自問してみてください。もし、その答えが明確でないならば、自社の『戦略』は既に『戦術』の泥沼に足を取られていると考えてよいのではないでしょうか。
「戦略とは、何をするかではなく何をしないかを決めることである」「戦略とは単に競争に勝つことではない 独自の価値を生み出すことである」 マイケル・ポーターの格言の真意を咀嚼しながら、現場の忙しさから一歩離れた「視座」を取り戻していくことが求められています。