採用がうまくいかない。応募が来ない。定着せずに離れる数も一定以上いる。
だから人が足りない。
この説明は、誰も反論できないという点で極めて優秀である。
外部環境が原因であれば、経営の責任は大きくは問われずに済むかもしれません。
しかしここに一つだけ、答えにくい問いを置いてみましょう。
『その「足りない人数」は、何を基準に算出されたのでしょうか?』
多くの場合、根拠は現在の業務量ではないでしょうか。
今の仕事のやり方を前提に、今のスピードで処理し、今の役割分担を維持したまま計算している。
つまり増員とは、現在の業務設計を「正しいもの」として追認する行為にほかならなりません。
人を採るという意思決定は、静かに、しかし確実に、非効率を組織構造の中へ固定していきます。
さらに厄介なのは、仕事は人員に合わせて膨張するという性質です。
一人増えれば、その一人の存在を正当化するための業務が自然に生まれていきます。
会議の出席者が増え、確認の階層が増え、報告資料が一枚増える。
そして三年後、その会社は再び「人が足りない」と言っている。
増員は問題を解決したのではなく、先送りしていただけだったのです。
問うべきは「あと何人必要か」ではありません。
この業務は、そもそも誰のために存在しているのか、
この判断に、本当に数人の承認が必要なのか、
この作業は、人がやるべき仕事なのか。
増員要求の一つひとつは、業務設計への問いに翻訳することができるのではないでしょうか。
人が採れない時代は、経営にとって不運ではありません。
業務のあり方を根本から問い直すことを、外部環境が強制してくれる稀有な機会ではないでしょうか。
増員によって成立している組織は、労働市場の変動にそのまま揺さぶられ続けます。
増員なしで事業を進められる構造をつくれた会社だけが、この先の数十年を自力で選ぶことができるのです。
人手不足は、社会の問題として語られすぎています。
それは同時に、その企業・組織の設計思想が問われている場面でもあります。