プレイヤーとして高い成果を出した人物を、マネジメント職に登用する。
妥当な判断です。
しかし問題はその次に起きてきます。多くの企業が辞令とともに伝えるのは
「今日からマネジメントをお願いします」という一言だけであって、
実際に変わったのは名刺の肩書と、いくばくかの手当です。
しかし本人に起きているのは、はるかに大きな変化です。
自分で成果を出す立場から、他者を通じて成果を出す立場への大きな移行です。
求められる能力も、時間の使い方も、評価される行動も、まったく別のものになります。
にもかかわらず、担当顧客はそのまま残り、個人目標も据え置かれていて、
実際の権限はほとんど増えてはおらず、評価はプレイヤーとしての数字と部門業績の混在で行われていく・・。
この状態では、成果が出ないほうが自然だといってよい。
本人は最も確実に成果が出る方法、すなわち自分で動くことを選びます。
部下の育成は当然後回しになります。
早ければ2年後には「あの人はマネジメント職ではなかったか?実際はプレイヤーのままだ」と周囲から評されて定着してしまう・・。
これを本人の努力不足と片付けてしまってはいけません。本人としては与えられた条件下での最適解を選んだにすぎません。
個の能力問題として片づけられてしまいがちですが、実際は組織そのものや制度設計と運用の問題です。
マネジメント職が育たないのではありません。マネジメント職という仕事が定義されていないのです。
ここでいう定義とは、階層別研修のカリキュラムのことではありません。
①何を自分の判断で決めてよいとされ、何を決めてはいけないのか。
②一週間のうち何割を部下や周囲の人のために使うべきなのか。
③プレイヤーとしての成果は、どこまで評価に含めるのか。
この3つに答えのないまま送り出された優秀な人材を、育成に失敗している人と呼ぶのはあまりに酷ではないでしょうか。すべてに手を打ちましたか。
肩書を変えることは辞令で足ります。
だが仕事を変えるには、「権限」と「目標」と「評価」を同時に組み替えなければなりません。
育成研修を設計する前に、その役職の仕事を定義し直して言語で示せていますか。
順序を逆にしている企業・組織が驚くほど多いことに危機感を覚えてしまいます。